2012年 09月 30日
英語教育、この一冊
「なんで英語やるの?」を高校時代に読んで「英語の先生になろう」と思い大学に進み、そこで若林先生の授業を受けたときのショックは忘れられません。「教えればいいんだ」ではなく、教師として自分をどう磨くのか、教科書を使うことのメリットと限界、「デンスケ」を初めとした情報機器の活用、そして英語教育諸団体の特色など、これまで考えたこともないようなことが満載の授業でした。その一部がわかるのが「これからの英語教師」です。
この本が出版されたのは1983年1月26日ですので、私が大学4年の冬です。おそらく1か月もしないうちに購入し、同じ大学の友だちと感想を話し合った記憶があります。
全30章に分かれていてとても読みやすい構成になっていますが、章題がとても魅力的です。ちょっと挙げただけでも、
・第3章 教師自らの退路を断つこと
・第4章 教わったようには教えるな
・第12章 趣味を押しつけないこと
・第23章 わからないことを拒否してはならない などがあります。
たとえば「第3章 教師自らの退路を断つこと」には次の記述があります。
ある授業を見た。 This book is Tom's.という文を黒板に書き、「このthisはどういう意味かな」と言いつつ生徒の机の間を歩き回り始めた。「さあ、アテルゾ、アテルゾ、ダレガアタルカナ、ソレ、A君。」A君は小さな声で「コレ」と言った。ありそうなことです。そして、自分でもやったことがあります。(それまでにはこの本を読んでいたはずなのに、何でやってしまったのでしょうか。) このような身近な話題をとりあげながらグサッとくることを提示しています。
自分自身も教師になって20年が過ぎたときに、もう一度この本を読み直し、コメントを改めてまとめてみました。ここにすべてを引用することは難しいので、一部示します。
荒れた学校で席に座らない生徒がいる、そんな生徒に立ち向かうことも必要ですが、座って勉強している生徒に立ち向かうことが見逃されている気がします。(つまり、自分自身見逃してきたということです)
若林先生のこの文を見て思ったのは、教師が生徒を、生徒の学ぶ姿を見ることの大切さです。自分の授業をふりかえっても、案外見ていないんですよね。物理的にも、教科書を見たり、黒板を見たりする時間が結構長く、子ども自身の顔や全身を見る時間はあまりありません。(教科書の中身を100%暗記して教室に臨んだのは何回あったのだろうか) 心理的にも、「この発問についてはだれがわかっていそうかな」ということに気を遣ってしまい、「このことについて、どのくらいの子どもがどんなふうにわかっているのだろうか」まで気が回らないことがたびたびありました。そうなると「立ち向かって」はいないんです。授業を流しているだけなんですよね。
こんなふうに、あちこち読むたびに自分の授業実践や英語教師としての取組みをふりかえることができました。
残念なことにこの本は現在絶版であり、Amazonの中古でも一万円近くの値段がついています。近くの図書館にもありません。手元にある一冊を大事にし、あと2年ほどして教師生活30年が経ったら、また読み返そうと思います。
※このメモは「『英語教育ブログ』みんなで書けば怖くない!企画」への参加作品として作成しました。
by tawashisroom
| 2012-09-30 00:01
| 英語