神は細部に宿りたもう   

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先日お聞きした柴田元幸さんのお話の中で「文学では、「神は細部に宿りたもう」ということですので……」ということばがありました。読書といえば実用書かミステリ中心で流し読み派の私としては耳の痛いところですが、そこのところはさておき、そのとおりかなと思ったことが最近いくつかありました。

このところ、ウィークデイは毎日1枚、「ちょいスケ」を描いています。山田雅夫さんの「スケッチは3分」(光文社新書)に影響されて、通勤途中、駅の待合い場所とか、コーヒーを一杯楽しむパン屋さんのテーブルなどで、身近な小物や風景などを5~7分くらいかかってミニスケッチ帳に描いています。下手の横好きで、描いたときには「うぅ~」とはずかしく思いますが、数日経って見直すと「結構いけるな」と自己満足に浸っています。

ちょいスケを描きながら実感することは、シャーペンの芯が出てくるところ、吊革を止めるねじ、ビルの看板の支えなど、いろいろなところに工夫がされていて、人間の知恵ってたいしたものなのだなということです。もちろん、シャーペン全体、電車の中のレイアウト、ビル全体の構造もたいしたものなのでしょうが、ちょいスケでは細かなところのほうに気がつきます。

また、英語の授業を見る機会があるたびに思うのは、授業前の先生と生徒の会話(雑談?)、授業開始のあいさつのときの先生の目線、生徒を指名するときの口調と表情などに、その先生らしさがよくあらわれるということです。言葉で表そうとするとふっと逃げていってしまうことなのですけれども、そんな小さなことの積み重ねが、大胆な授業計画と相まって、その先生らしい授業を作り上げているのです。

ただ、授業後の協議会などでは、授業計画は詳しく検討することができますが、細かな工夫などを取り上げようとしても、言葉に表すことが難しいので印象を批評するだけにとどまってしまうことが多いなと思います。このあたりは自分の力不足を感じます。

今、全体の構成のすばらしさを説明することは、独りよがりな説明かもしれませんが、なんとかできます。それとともに、細部の妙にどう気付かせるのかが課題となっています。このことについて今できることといえば、細かな工夫自体を説明することではなく、そこにどう目を遣ればいいのかということを取り上げ、見る方法を示すことなのかもしれません。
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by tawashisroom | 2008-06-06 04:12 | 英語教育

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